📺映像の世紀-マッカーサー
2024/09/28
- 1945/8/14
- 日本が降伏したことがアメリカで報道される
- アメリカ軍
- 船で横須賀からアメリカ軍が上陸
- 飛行機で厚木飛行場からアメリカ軍が上陸
- マッカーサーはフィリピンから直接日本にきた
- 横浜に移動する途中、日本兵は背を向けた
- 天皇への敬意の表し方と同じ方法でマッカーサーを迎えた
- 背を向けて守ることを意味する
- 調印
- 1945/9/2
- 東京湾上のミズーリ号で日本は降伏文書に調印
- マッカーサーはペリーが日本に持って行った星条旗を船の上に飾った
- 再びの開国を演出するため、博物館から取り寄せた
- 調印により戦争は正式に終了、GHQの占領が始まる
- 占領開始
- GHQは非武装化を進める
- 陸海軍は解体
- 戦犯の逮捕も行う
- 東条はアメリカ兵が逮捕しに来たとき、ピストルで自分の胸を撃った
- しかし、命は取り留めた
- 天皇制
- GHQは皇居前の第一生命館を接収し、本部を置く
- 1945/9/22に占領の基本方針を発表
- 天皇制は維持することにした
- 3年前から、アメリカは日本の統治方法について検討していた
- 統治方法の案
- 天皇制を維持して間接統治する案があった
- 天皇制を廃止して連合国が直接統治する案もあった
- アメリカ軍の中には、日本を分割して勝利国がそれぞれ統治する案もあった
- 結局、天皇制を維持する案が採用
- 占領統治がスムーズにいくと考えた
- 金と時間の節約にもなる
- 昭和天皇とマッカーサーとの会談
- 昭和天皇がマッカーサーのもとに行く
- 記念撮影、3回目で成功
- 会談の内容は、今も非公開
- しかし、マッカーサーの回顧録がある
- 天皇が裁判したくないなどと言ってこないか懸念していたが
- 実際には、自分が責任を負うと言っていた
- マッカーサーは天皇を裁くことはせず、占領政策にますます利用するようにした
- 五大改革
- アメリカはさまざまな改革を実施
- 女性参政権
- 労働組合の奨励
- 教育の民主化
- 今までの教科書に墨を塗る
- 圧制的諸制度の撤廃
- 政治犯や思想犯の開放なども
- 財閥解体
- この5つをまとめて五大改革という
- 人間宣言
- 1946年元日
- 昭和天皇が人間宣言
- 神であることを否定
- マッカーサーの依頼によるものと考えられている
- アメリカを含め、多くの国で天皇を裁くべきだという声が上がる
- これに対処するための一つとして、人間宣言を行わせたと考えられている
- GHQの高官への接待なども行っていた
- 地方巡幸
- 天皇が地方巡幸
- 復興のかなめとなる農村や工場などを中心
- その内容が海外でも報じられる
- 1946年夏、天皇を裁判にかけないことが決定した、とアメリカの新聞が報道
- 日本国憲法
- 1946年11月3日、日本国憲法公布
- 日本国憲法は日本政府が作ることになっていた
- 試案を毎日新聞がスクープ
- 中身が保守的
- 日本に作らせていると民主化ができない
- GHQは日本政府に憲法を作る能力がないと判断
- マッカーサーはGHQ民政局に憲法を作らせることにした
- マッカーサーは基本原則を作っていた
- 天皇や戦争放棄など
- これをもとに作らせた
- マッカーサーは日本国憲法の先進性を誇らしく語った
- 農地改革
- 自分の農地を持つものが増えた
- 各地からお礼
- 大統領選
- マッカーサーは日本での成功から、大統領選に出る野望を抱く
- 共和党右派に担がれる
- アメリカだけでなく日本でもマッカーサーを支援する声が上がる
- しかし、予備選挙で惨敗
- 全体で1000票以上あるのに、マッカーサーは11票
- 10年以上アメリカにいなかったので、時代についていけないと判断された
- 占領政策の見直し
- 昭和24年、中華人民共和国が誕生
- 共産主義を恐れるアメリカ
- 占領政策を見直そうとする
- 反共産を中心に掲げようとする
- 全体主義に陥ることはない、とマッカーサーは反対
- 逆コース
- 公務員のスト禁止を決定
- 民主化と逆行する決定をする
- 共産党幹部の追放も行う
- 朝鮮戦争
- 朝鮮戦争が勃発
- マッカーサーは北朝鮮軍と戦う国連軍の司令官に任命される
- 日本にいたアメリカ兵が朝鮮へ
- 留守の間に日本を守るために、警察予備隊の仕組みを作る
- のちの自衛隊
- 非武装化に反する決定
- トルーマン大統領
- トルーマン大統領はマッカーサーをすべての役職から解任
- マッカーサーは朝鮮戦争の膠着状態打開のために原爆使用を求め、中国やロシアで使おうとした
- トルーマンは第3次世界大戦を回避するために反対
- まだ朝鮮戦争の途中
- マッカーサーは帰国
- 帰国の翌年、日本は独立回復
- 死去
- 1964年4月5日、マッカーサー死去
- この年日本ではオリンピック開催
- 吉田茂は戦後の日本を見てもらうために招待しようとしていた
- 退任演説
- 1951年、マッカーサー退任演説
- 老兵は死なず ただ消え去るのみ
- 有名な演説