📺映像の世紀-ビートルズ
2024/12/27
- 誕生
- 1940年、ジョンレノン誕生
- リバプールという港町
- 幼いころに両親が離婚
- ポールマッカートニーが2年後に誕生
- 幼いころに母親を失う
- 2人ともロックに夢中
- 戦後、イギリスにアメリカ兵がたくさんいた
- 彼らがアメリカのレコードをもちこんでいた
- リトルリチャードに夢中
- 黒人の音楽
- 出会い
- ロックイベントに出るジョン
- ポールはこのライブを見ていた
- ジョンとポールが出会って語り合う
- ポールがピアノを弾いて歌い出した
- ジョンはポールをバンドに誘う
- ジョージハリスンも加入
- 兵役
- 1960年に兵役が廃止
- メンバーは全員徴兵から逃れた
- 徴兵されていたら、3人は出会わなかった
- ハンブルク
- 3か月武者修行をする
- ブライアンエプスタイン
- リバプールの実業家
- ビートルズのライブハウスに行ってみる
- 感激し、マネージャーに名乗り出た
- ハンブルクで知り合った、リンゴスターが加入
- 港町の不良から、スーツに着替えさせた
- 幅広い層に受け入れられるよう、1曲ごとにお辞儀をするようにした
- Love Me Do
- デビュー
- 若い女性たちが熱狂する
- 男たちも長髪に憧れ、かつらをかぶるようになる
- この変化に年配の人たちは眉をひそめる人もいた
- 革新性
- 自分たちで作詞作曲をしたこと
- それまでは分業制が基本
- 若者たちの気持ちの代弁者となった
- 他のアーティストにも影響を与えた
- 社会への影響
- 当時のイギリスは階級社会
- ビートルズのメンバーは労働者階級出身
- イギリス皇室後援のチャリティーイベントに出るビートルズ
- 上級階級たちの前でMCをするジョンレノン
- 「安い席の人は拍手をして、後の方々は宝石をジャラジャラ鳴らして」
- 新しい文化
- 若者は新しい文化を取り入れるようになる
- スカートは短くなる
- アメリカ
- 1964年アメリカ上陸
- 熱狂している人もいたが、眉をひそめる人もいた
- みんな髪を切らなくなったので、理容師業界から嫌われていた
- モハメドアリとの共演
- 黒人と白人とがじゃれ合っているシーンは新鮮に受け止められた
- 1960年代は人権問題がピークになっていた
- ビートルズには黒人は音楽のきっかけ
- ジャクソンビルでのライブ
- 黒人差別がひどい地域
- 野球場などでは、黒人は隔離されていた
- ビートルズは1964年にライブをやる予定だったが
- 黒人を隔離するならやらないといった
- ビートルズを避難するメディアもあった
- しかし、最終的には隔離なしでライブは行われた
- 公民権法が成立し、その後人種隔離政策は撤廃された
- 日本や南米
- ビートルズのパチモンがやってきた
- パチモンでも熱狂した
- ソ連
- ビートルズを自由に聞けない国
- 西側のロックは禁止
- 西側の自由な思想の広まりを恐れた
- ルクセンブルク
- ラジオルクセンブルク
- 周辺の国にも流れる短波放送でビートルズを流した
- ソ連でも流れた
- 来日
- 1966年6月
- 日本武道館でのライブ
- 右翼団体が日本武道館を使うことに抗議
- ライブ以外の時間はホテルから出られない
- アメリカでのライブ
- 1966年7月
- インタビューでジョンが「ビートルズはキリスト教より有名」と答える
- この発言がキリスト教批判だと言われ、不買運動が広がる
- ジョンは釈明に追い込まれた
- 一連の事件で人前で演奏することに嫌気がさしていた
- サンフランシスコでのライブ
- 1966年8月
- ここを最後のライブにしようとしていた
- 嫌気がしていた
- 歓声が大きすぎて自分たちの音が聞こえない
- ライブ後
- 休暇
- 自由な時間を過ごす
- みんな、新しいアイデアをはぐくむ
- アワ・ワールド
- 再び人前に出たビートルズ
- 世界初の同時中継番組に出る
- 「All You Need Is Love」
- レコーディングが生中継
- アルバム
- 連日レコーディング
- ライブ休止後のアルバム1枚目
- アルバムの裏に歌詞を書く
- スーツを脱いで髭を生やしアイドルを辞める
- 音楽は古今東西の文化を取り入れるようになる
- 放送禁止
- BBCからいくつかの曲が放送禁止になる
- 薬物を連想させるため
- ジョンレノンは薬物ではないと釈明する
- しかし、実際には4人は薬物を使っていた
- マネージャーのブライアンエプスタインが32歳で死亡
- 死因は、薬物の過剰摂取
- ポール
- ポールがビートルズのまとめ役をすることになった
- ビートルズを題材に映画を作ることにした
- 大失敗だった
- インド
- 1968年2月
- ドラッグにかわるものとして、瞑想を体験
- ジュリアン
- インドから帰ると、ジョンはオノヨーコと過ごす時間が増える
- ビートルズから距離をとる
- そのときの妻とも離婚
- 5歳の子、ジュリアンがいたが、ジョンよりポールになついていた
- ポールはジュリアンを励ますために、「Hey Jude」を書いた
- 最大のヒット曲となった
- 解散
- 1970年4月、ビートルズは解散
- 活動期間は7年7カ月
- ソ連
- 1985年
- ゴルバチョフが書記長につくと、ロックが解禁となった
- ビートルズの曲がソ連に届く
- ソ連のコピーバンドはビートルズの曲に乗せて、ソ連への変革を訴えた
- チェコスロバキア
- 1989年
- 無血革命
- マルタクビショヴァが再び人前に
- ヘイジュードを昔カバーしていた
- そのせいで非難を浴びて人前にでなくなっていた
- ジョンレノン
- 1990年死去
- ファンを名乗る人に撃たれる
- ジョージハリスン
- 2001年死去
- 肺がんで
- 新曲
- 2023年
- ジョンが残したデモテープをもとに
- AIの力を借りて新曲を発表