📺映像の世紀第6週 独立の旗の下に
2024/12/24
- インド門
- 大英帝国の国王を迎えるために作った
- 初めてくぐったのは、大英帝国ジョージ5世
- 自分がインドの皇帝であることを宣言するため
- 記念式典にはマハラジャなど10万人が参列
- インドの人々は大英帝国の権威を見せつけられる
- 南アフリカ
- イギリス領
- 弁護士として活躍していたガンジー
- イギリスの支配下で苦しむ南アフリカの人々を見る
- ガンジーが電車に乗ろうとすると、切符があるにもかかわらず、有色人種であることを理由に貨物車に移動させられた
- この体験が独立運動の原点と語っている
- インドシナ
- フランス領
- ベトナム人はフランス人を恐れている
- ベトナム人は理由なく逮捕され、裁判なしで投獄されていた
- 韓国
- 1910年に韓国は日本に併合
- 第一次世界大戦
- ヨーロッパの戦争にアジア人が駆り出される
- フランスにはベトナム人が連れてこられる
- このことをホーチミンが批判する
- パリ和平会議
- 1919年
- アメリカのウィルソン大統領は民族自決を提唱
- ホーチミンはウィルソンに直訴状を渡そうとした
- しかし、ベトナムの一青年が大統領に近づくことはできなかった
- 中国
- 1920年代
- 利権獲得にいろんな国がやってきた
- 治外法権で守られていた
- 当時、上海は東洋のパリと呼ばれていた
- 一方、中国人は差別的な扱いを受けていた
- 孫文が民族自決を訴えた
- 孫文は中国人が自分の国の将来について考えていないことを嘆いていた
- モスクワ
- 1917年ロシア革命
- アジアの国々に独立の機運
- ホーチミンはコミンテルンに参加
- コミンテルンは世界に共産主義を広めるのが目的
- ホーチミンは秘密工作員として地下活動を続ける
- 孫文
- コミンテルンから人を呼び、軍隊を育てる
- 黄埔軍官学校も作られ、蒋介石が校長に選ばれる
- 強い革命軍がないから革命が成功しないという考え
- 台湾では孫文の言葉が国家として使われている
- ホーチミンはインドシナの青年をこの学校に送る
- 国民党軍の主力部隊となる
- ワラジ精神
- ワラジになっても戦え、という蒋介石の教え
- インド
- 1915年ガンジー帰国
- 南アフリカでの人権闘争をインドの人も知っていた
- 非暴力を訴える
- ヨーロッパの暴力に対抗
- 糸車
- ヒンドゥーとイスラムをどうまとめるか、悩むガンジー
- ガンジーは、糸車で意図を紡ぐことを訴える
- イギリスの綿織物がやってきて、みんな糸車を片付け、インドは繁栄がなくなった
- イギリス抵抗のため、インド人は糸を紡ぎ始めた
- インドの国旗は、ヒンドゥー、イスラム、その他宗教を3色で表す
- 中央には糸車のマーク
- すべてのイギリス製品のボイコットに発展
- 塩の更新
- ガンジーは1930年に新しい活動
- 海水から塩を作る運動
- イギリスは塩の専売制を行っており、インドが塩を作ることを禁止していた
- 糸車に続く非暴力のシンボルとした
- 警察は動いたが、大衆の運動を押さえることはできず
- イギリス
- 大衆の運動を辞める代わりに
- イギリスでインドの要求を聞くことを約束
- ガンジーも出席させることに
- 孫文の死
- 1925年北京
- 孫文がガンで亡くなる
- 租界地返還の運動
- 孫文の国民党を引き継いだ蒋介石
- 共産党が自分の地位を脅かすと蒋介石は恐れるようになった