📺バラフライエフェクト-安保闘争
2024/07/26
- サンフランシスコ条約
- 日本は独立
- 日米安全保障条約
- サンフランシスコ条約の5時間後に調印
- アメリカ側は4人がサインしたが
- 日本側は吉田茂だけがサイン
- 安保条約は不人気で、他の政治家はサインしないほうがいいと吉田は考えた
- 米軍が駐在するが、日本を防衛する義務は負わないという、不平等条約
- 国民は朝鮮戦争特需で関心が薄かった
- 砂川闘争
- 1955年、米軍基地拡大の計画
- 砂川の町が分断されることに
- 住民は抵抗し、この動きが60年安保闘争につながる
- 岸政権
- 不平等を改めたい
- しかし国民は岸政権を疑っていた
- 東条内角のときに商工大臣だった岸
- 戦後、A級戦犯容疑で逮捕されたが不起訴になった
- 国民の中には、戦前に戻ると疑っているものがいた
- 岸政権は、アメリカが防衛義務をはたし、米軍基地が攻撃されたら自衛隊が防衛するという相互協力を目指した
- 全学連
- 代表、唐牛健太郎(かろうじ)
- 羽田空港のロビーを占拠
- 岸をアメリカに行かせないために
- 機動隊が封鎖を突破
- 唐牛たちは逮捕
- 新安保条約
- 岸はアメリカで新安保条約に調印 1960年
- 各国会で承認を得たら有効となる
- しかし、国会で野党からの反発
- 条約の有効範囲について
- 国会の外では学生が反発
- 釈放された唐牛が扇動
- 学生たちが警察のバリケードを突破
- 唐牛はまた逮捕された
- 強行採決
- 岸は強行採決へ
- 社会党が国会内の廊下をふさいで抵抗
- 国会内に警官を投入して社会党議員を排除
- 強行採決で衆議院を通過
- 参議院を通過しなくても、自然承認となる
- 自然承認
- 国民は国会に警官を導入したことに反発
- 民主主義の破壊と訴えた
- 自然承認を阻止するには国会を解散させるしかない
- 学生や俳優グループが抗議
- 次々と広がっていき、ストライキが決行
- 交通機関がマヒした
- 通勤者はストライキに理解を示し、岸に反発
- 自然承認数日前に全学連の学生が国会前で抗議
- シュプレヒコール
- 国会の中へ侵入
- 鬼の四機と言われた、鬼の第四機動隊が迎え撃つ
- 学生は大けがをし、死者も一人出た
- 岸は内閣官邸に立てこもる
- 自然承認された
- この4日後に岸は辞任
- 新安保条約は10年有効
- 60年安保闘争は終わった
- 上を向いて歩こう
- 永六輔が作詞した曲(1961年)
- 安保闘争が終わり、涙の出る気持ちで帰宅したときの心境を書いた曲
- ベトナム戦争
- 米軍基地から戦闘機が飛び立つ
- 日本がベトナム攻撃に枯淡しているという声が上がる
- 70年安保闘争
- 10年で今の安保条約が破棄することを目指す
- 新宿駅では若者がベトナム戦争反対の歌を歌う
- 新宿騒乱事件
- 1968年
- 新左翼が燃料タンク通過を阻止するため駅に進入し電車に投石などをする
- 安田講堂立てこもり
- 東大生が大学改革を訴える
- 安田講堂にたてこもる
- 学生間で勢力争いが怒ったりもする
- キャラメルママ
- 学生の親が闘争をやめさせようとする
- キャラメルを配りながら説得していたので
- キャラメルママと呼ばれた
- 封鎖解除
- 1969年1月18日機動隊突入
- 学生は、火炎瓶、硫酸、塩酸、石などを建物の上から投げて攻撃
- 1月19日に封鎖は解除された
- 安保条約
- 1970年、万博が始まったころ、安保条約は自動延長された
- その後
- 学生たちは日常へ
- 就職していった
- 一方、新左翼は先鋭化していった
- 1972年、あさま山荘事件
- 仲間のリンチなどが発覚する
- 新左翼運動は見限られた
- アザラシ漁
- NHKの北海道アザラシ漁の密着番組
- そこにいたコック長が、唐牛だった
- 逮捕により北海道大学を除籍されていた
- その後も仕事を転々としていた
- 大企業のサラリーマンや大学教授にはなれない
- 将来やりたいことは?と聞かれても「ない」と答える