📺バタフライエフェクト-ダイエー中内とセゾン堤

  • 1970年代
    • 商店街がダメージ
    • 激安スーパーが誕生したため
  • ダイエー
    • 関西発
    • 全国に拡大
  • 中内
    • 薬や雑貨の販売で創業
    • 実家の薬屋で、1円でも安いものを求める客を見てきた
  • アメリカ視察
    • 価格決定権をメーカーから奪う
    • 大量に仕入れて大幅な値引きを実現
  • 不動産業
    • ダイエーが店舗を出すとまわりの地下が上がった
    • 店の担保価値も増えた
    • 売上高1兆円を達成
  • 堤誠二
    • 西武百貨店
    • 「おいしい生活」のキャッチコピー
  • 堤の父
    • 政治家で実業家
    • 箱根などの開発で富を築く
    • 西武グループをつくる
    • 金もうけに走る父を冷ややかな目で見ていた
    • 相続にも消極的
  • 事業継承
    • 堤の父の死後、本業は弟が継承
    • 堤清二は西武百貨店を継承
    • 中核ではない
    • 池袋の西武百貨店は、銀座の百貨店より商品数が少ない
    • 下駄ばき百貨店と呼ばれた
    • 50億円の負債もあった
    • 最上階で美術展を開き、巻き返しを狙う
  • パルコ
    • 1968年、渋谷に西武百貨店
    • パルコを開業し、若者を呼び込む
  • 東の西武、西のダイエー
    • 1982年西武は売り上げ日本一になる
    • 「東の西武、西のダイエー」と言われる
    • ダイエー中内は堤をライバル視
    • 堤は安売りだけのダイエーにいらだっていた
  • バブル
    • 1985年プラザ合意
    • 円高で輸入企業が大打撃
    • 政府は内需拡大を進め、日銀は利下げ
    • 利ザヤが稼げなくなった銀行は貸出量を増やして稼ごうとする
    • 株式や不動産にカネが流れる
    • バブル景気につながる
  • ダイエーの拡大
    • ダイエーは海外進出をする
    • 1988年には球団買収
    • 病院の跡地に、新神戸オリエンタルシティを作る
    • 巨大な施設だが駅から遠い
    • ほんとにこんな大きな施設を作って大丈夫か、中内も心配になっている
  • セゾンの拡大
    • 「つかしん」というショッピングセンターを作る
    • 堤の理想の町を実現
    • リゾート開発も進める
    • リゾート法が通り、自治体からリゾート案件が堤のところにやってくる
    • もともとあるが気づいていなかった欲望を刺激するのはいいが、なかった欲望を無理やり刺激するのは危険ではないか、という考えが出てくる
  • 平成
    • 1989年、新しい元号は平成
    • 1989年の年末38885円
    • 1990年になってから株価は急落
    • 1990年4月に、28000円台
    • 1万円さげる
    • しかし、ダイエーもセゾンも拡大
  • 平成のダイエー
    • 出店の足かせとなっていた大店法の見直しが行われる
    • 株価下落で地価も下落していたが、ダイエーは出店を続ける
    • 中堅スーパーの吸収合併を行い、全都道府県を制覇
    • 1993年福岡ドーム完成
    • しかし、1993年、売上が前年を下回る
    • 1995年阪神淡路大震災
    • 兵庫にあったダイエーの資産が影響を受ける
    • 1000億円の内部留保は半分になる
    • ダイエーの神戸撤退の噂を否定
  • 平成のセゾン
    • 高額商品が売れなくなる
    • 西武百貨店の売り上げは半減
    • つかしんは一度も黒字にならなかった
    • リゾート開発で借りた融資を返せと銀行に言われる
    • 金融機関の破綻が起こる
    • 地下が下がる
    • デフレ
    • 2000年、個人資産100億円を返済にあてた
    • ファミリーマートを伊藤忠に売却
    • パルコを森トラストなどに売却
    • SEIYUはウォルマート傘下に
    • 2001年、セゾングループは消滅
  • 堤インタビュー
    • 2003年
    • 経営から退いた
    • 見誤った時点を特定するのは難しい
    • 軌道修正もできなかった
    • 調子がいいときは、余計にやってしまう
    • 縮小化のことを知らなかった
  • 中内
    • 銀行から経営の健全化を求められていた
    • 1999年には負債は3兆円に
    • 土地の含み益は、2兆円から3000億円に
    • 赤字店舗は次々と閉鎖
    • モノが売れなくなっていた
    • 安さだけでは売れなくなっていた
    • 2001年、中内はダイエーから退いた
    • 2005年、ダイエーは球団をソフトバンクに売却
    • 球団売却から数か月後に中内は死去
    • 個人資産はすべて差し押さえられていた