世界史
2024/10/03
- 第1回
- 四大文明
- と今は言わないらしい
- 川のほとりで文明が栄えた
- が、遊牧民と農耕民とが交わるところでもある
- 物々交換による経済発展
- メソポタミア
- 交通のかなめになっていた
- 大麦の収穫倍率は30-80倍
- 種を1つまいてどれだけ収穫できるか
- ヨーロッパでは2倍
- 食物がたくさんとれる
- 一方、文明に必要な木材や金属がとれない
- 交易に頼るしかなかった
- 交易を管理するために文字も発達する
- オリエント
- 「東の方」の意味
- ヨーロッパから見た、中東やアジアのこと
- 城壁
- 交易により富が集まってくる
- 外敵が富を横取りしてくることもある
- 城壁で町を囲むのが都市の典型となる
- ハンムラビ法典
- 目には目を歯には歯を
- 文字の発達
- ヒッタイト人
- 馬と戦車を活用
- 鉄製武器を使う
- 鉄は農具にも使ってた
- 武力革命が起こる
- バビロン第一王朝を倒す
- アッシリア
- オリエント統一
- 強制移住や重税
- 反乱がありすぐに消滅
- アケメネス朝ペルシャ
- 被征服民の文化や宗教の自由を認める
- 幹線道路を整備する
- 200年にわたり安定統治
- 広域支配
- 中国
- 春秋戦国時代、小さい国が乱立
- 秦がはじめて統一
- 万里の長城、言論統制、政策が厳しい
- 反乱により、15年で滅亡
- その後にできた、漢
- ゆるく支配
- 漢は400年続く
- 四大文明
- 第2回
- ローマ帝国
- 地中海を支配していたカルタゴ
- これをローマがやぶり、地中海広域を支配する
- インドでローマ時代の金貨が見つかるなど
- 交易が盛んだったことがわかる
- 交易により利益を得て、軍を整備でき、広域支配が可能となった
- シルクロード
- ローマ、パルティア、クシャーナ朝、後漢と大国があった
- シルクロードはこれらの大国のおかげで安全な道になった
- 海路も使っていた
- ローマから地中海を通り、紅海を通ってインドなど
- ローマは交易により栄えた
- 後漢とローマの衰退
- 後漢で自然災害や黄巾の乱(新興宗教集団)
- 絹織物産地が壊滅
- ローマでは、感染症蔓延と戦争増加
- シルクロードからの利益が減っていき、衰退
- ローマは4世紀に東西分裂
- ローマの統治方法
- 街道を整備
- 各州に総督を派遣して統治
- アケメネス朝ペルシャと同じ方法
- 支配した地域の文化や宗教を認める
- ローマとギリシャの違い
- ローマは誰でも条件を満たせば市民権を得られた
- ローマは市民がどんどん増える
- ギリシャのアテネでは両親が市民権を持っていることが条件
- ギリシャは市民が減って小さくなって小さいまま
- ローマの起源
- オオカミに育てられた少年、ロムルスとレムスという双子の少年が起源
- 2人の少年がいろんな人を呼び寄せてローマを作った、という神話がある
- フィニキア
- シリアの東の方にあった
- シルクロードと海をつないでいた
- 宦官(かんがん)
- 東ローマには宦官がいた
- 中国にもいた
- 東ローマは中国を真似た
- 西ローマや日本には宦官はいない
- 家畜のコントロールをする牧畜の文化と接しているところ
- ゲルマン人の大移動
- 北半球の気温が下がる
- 遊牧ができなくなった北アジアのフン人が西へ移動
- 押し出される形でゲルマン人も移動
- ゲルマン人とローマ人とが争うようになる
- ローマは東西に分かれ、西ローマ帝国は476年滅亡
- 西ローマは小さい国に分かれる
- コンスタンティノーブル
- 東ローマはコンスタンティノープルが難攻不落の街だった
- ここはシルクロードとつながり、経済的に豊かだった
- 軍隊を維持する財政があった
- 西ローマは貧しく、木しかない
- 外部から攻められて、西ローマは476年滅亡
- キリスト教
- キリスト教は、他の宗教の神を認めなかった
- そのため、他の宗教から迫害を受けていた
- 東ローマは宗教に寛容だったが、キリスト教は危険なので規制するようになった
- コンスタンティヌスはキリスト教を認め、ローマの国の宗教にした
- ローマ帝国
- 第9回
- 14-18世紀
- 中国は明の時代
- 国民には商業ではなく農業を強いる
- 貨幣を禁止し、物々交換をさせる
- 国民に大きく制約
- 万里の長城の修復
- 中華(=世界の中心)思想
- 朝貢貿易
- 中国はまわりの国に自分が中心と思わせたい
- まわりの国は中国にある豊かな商品が欲しい
- 中国が認めた国なら、物々交換型の貿易ができた
- まわりの国も見返りがあったので参加する理由があった
- 倭寇
- 日本の海賊というイメージがあるが
- 実際には、多国籍の密貿易
- 農民は副業で織物をつくる
- 政府は農業以外を禁止しているので、織物などを密輸出する
- 銀(これも禁止されてた)を手に入れる
- 石見銀山
- 1527年発見
- この銀が倭寇から中国などへ流通していく
- 大航海時代
- ルネサンス 14-16世紀
- レコンキスタ
- イスラム王朝から土地を奪還
- オスマン帝国の拡張
- オスマン帝国はイスラム教の国
- ヨーロッパの国々は東に行けなくなってきた
- スペインとポルトガルが地中海を通らない航路を開拓
- ポルトガルは喜望峰を通ってインドに行く航路を見つける
- スペインはアメリカに到達
- アステカ王国、インカ帝国を滅ぼす
- ポトシ銀山
- ポトシ銀山を見つけ、スペインは銀を手にする
- ヨーロッパは中国の商品が欲しかったが渡せるものがなかった
- 中国に渡せるものがやっと見つかった
- プレスター・ジョン
- 東方に存在すると考えられていた伝説上のキリスト教国の国王
- この国を探すためにアジア航路を切り開いていった側面もある
- 食や病気
- トマトやトウガラシ(米⇒欧州)
- 天然痘(欧州⇒米)や梅毒(米⇒欧州)
- 世界観
- アメリカ大陸には、聖書に書いていないこともある
- 神の作った世界の外に来てしまったのではないか
- 神の世界の外なので、自分が見つけたものは自分のものにしていい、という発想
- 虐殺や強制労働にもつながる
- 主権国家へ
- 西ヨーロッパには神聖ローマ帝国
- 大聖堂の再建費用捻出のため、免罪符を売る
- ルターがこれに反発
- プロテスタント派が起こる
- 宗教戦争へとつながる
- 帝国は事実上崩壊
- 宗教的権威から距離をとる
- 王が治める、主権国家へ
- 第10回 産業革命
- 清
- 満州人が治めた清
- 多民族共存
- 17世紀のヨーロッパ
- 寒冷化、凶作、ペスト流行
- 戦争、内乱 で帝国が崩壊
- 主権国家となって立て直し
- オランダが造船・毛織物業で栄える
- イギリスは中央銀行を設立
- 徴税能力を担保に国債発行
- 国債による資金調達が可能となり、戦争資金を調達する
- イギリスはいくつかの戦争に勝ち、大西洋の海上覇権を握る
- 三角貿易
- イギリスからアフリカへ武器・織物を輸出
- イギリスはアフリカで黒人奴隷を乗せてアメリカに送る
- アメリカで労働させて作った砂糖などをイギリスに持ち帰る
- イギリスはこの三角貿易で収益をあげる
- 産業革命
- 三角貿易で収益を上げていたイギリス
- いろんなものを輸入していた
- インドの綿織物がイギリスでヒット
- イギリス国内の毛織物が大打撃
- イギリス政府は綿織物の輸入を禁止したが失敗
- イギリスで綿織物を作る、という方向に
- 機械で作る産業革命が起こる
- 中国は豊だったのでイノベーションする必要はなかったが
- 西洋はイノベーションしないといけなかった
- インドの植民地化
- 国内で消費しきれなくなった綿織物をイギリスはインドに輸出
- インドの綿織物は大打撃
- 輸出入を管理する東インド会社
- 中国のお茶を買う
- お茶は高級品だったが、イギリスは豊かになったので日常品になった
- 東インド会社は軍事力をもち、インドを植民地にする
- 鉄道を整備し、綿花の輸送をしやすくする
- 帝国主義
- イギリスは、原材料のとれる地域を植民地化し、完成品を売るマーケットとして扱うようになる
- 帝国時代は、民衆から税金などを徴収するモデル
- 帝国主義は、利益率の低い地域をマーケットとして扱うモデル
- アヘン戦争
- イギリスは中国からお茶を買うたびに銀が流出する
- イギリスは綿織物を輸出したかったが、中国も綿織物があるので需要がない
- イギリスは自由貿易を希望したが、清は拒否
- イギリスはアヘンを売りつけて銀を回収する
- 清は銀の流出や中毒者増加に対応しようとする
- イギリスは艦隊を守るという口実で攻撃、アヘン戦争が起こる
- イギリスは勝利し、自由貿易と香港割譲を得る
- 日清戦争
- 日本はロシア南下を警戒
- 日本は朝鮮に進出しようとする
- これに清が反発
- 朝鮮半島の支配権をめぐって日清戦争が勃発
- 日本が勝利し、朝鮮独立を認めさせ、台湾割譲、賠償金を得る
- 賠償金支払いのため、清は西欧からお金を借りる
- 西欧は清内に租借地を設け、分割されてしまう
- フランス革命と国民意識
- アメリカ独立がフランスに波及して革命へ
- 1799年ナポレオン登場
- 自分の国は自分で守る
- 国民意識が芽生える
- 近代化する能力・国民意識があるかどうか
- 西欧はあったが、清などにはないと判断して、帝国主義的な支配となった
- 清
- 第11回 世界大戦
- 19世紀までの日本と海外の関係
- 遣唐使の頃は中国の情報を得る
- 江戸時代はオランダと貿易をしながら、世界中の情報を得る
- 19世紀には欧米諸国と国交を結ぶ
- 明治維新
- 明治新政府誕生
- 体制を一新した
- ドイツを見本とした
- 時代は植民地を拡大する帝国主義
- 日本も参加していく
- 日露戦争
- 帝国主義を進めていきたい日本
- ロシアが邪魔
- ロシアは凍らない港が欲しい
- ロシアはまず地中海に行こうとした
- しかしイギリスに邪魔される
- ロシアは東の方から南に行く作戦
- 朝鮮にも進出
- ロシアの動きを警戒していたイギリスは、同じく警戒していた日本と日英同盟を結ぶ
- 日露戦争が起こる
- ロシアはバルチック艦隊を派遣(アフリカ経由)
- 日本はこれを対馬海峡で迎え撃つ
- 東郷平八郎がバルチック艦隊を破った
- 日露戦争の見方
- 世界史の転換点とも言われる
- 日露戦争は、総動員・近代的な兵器など、今までの戦争と異なる
- 第0次世界大戦と言われることもある
- 日本が勝ったことで、「白人が優位」という世界観がゆらぐ
- アジア・アフリカには自信を与えた
- 欧州では不安が広がる
- 日露戦争後
- 日露戦争は、ロシア側(ドイツ+フランス)と日本側(イギリス+アメリカ)の戦い
- イギリスはロシアの海軍力を恐れていたが、バルチック艦隊は壊滅的なダメージを受けた
- イギリスはロシアに近づく
- フランスとも近づく(ドイツに対抗)
- イギリス、フランス、ロシアは三国協商を結ぶ
- 一方、ドイツはオーストリア、イタリアと三国同盟を結ぶ
- 第一次世界大戦
- オスマン帝国の衰退
- バルカン半島の支配も減る
- そこをロシアとオーストリア・ハンガリーが狙う
- オーストリア・ハンガリー帝国の王位継承者がセルビア人に射殺される
- オーストリアハンガリー帝国が参戦
- 他の国も次々に参戦
- 同盟国側と協商国側に分かれて戦う
- 日本はイギリスとの関係から協商国側で参戦
- ロシアは1917年にロシア革命が起こったため離脱
- 社会主義の国、ソ連の誕生
- 帝国主義を否定
- アメリカははじめは中立だったが協商国側へ参戦する
- 協商国側が勝利する
- 第一次世界大戦後
- アメリカのウィルソン大統領、ソ連のレーニンが帝国主義の否定
- 民族自決の考え
- 自分の民族が自分の運命を決める
- パリ講和会議でのベルサイユ条約には民族自決の考えが採用される
- しかし、日本が入れようとした人種差別撤廃条項はイギリスやアメリカなどが反対
- イギリスはインドなどの独立を恐れた
- アメリカは国内の公民権が十分に確立されてなかった
- 結果的に、民族自決はヨーロッパだけの話で、アジア・アフリカには適用されず
- 委任統治という、植民地を維持できるシステムを残した
- ヨーロッパでは帝国が崩壊していく
- 国民国家が誕生する
- 帝国を維持していたのは日本だけ
- 第一次世界大戦後の平和
- 不戦条約
- 国際紛争の解決手段に戦争を使わない
- 国際連盟も機能するようになった
- あるイギリス政治家が「こんなに平和な時代はなかった」というほど平和
- このすぐ後に満州事変が起こってしまう
- 不戦条約
- 満州事変
- 平和の基盤を壊してしまった
- 中国では革命が起こって清王朝が滅亡
- 中華民国が誕生
- 列強に奪われた権益を回収しようとした
- これに日本が警戒
- 鉄道爆破を中国のせいにして中国の東北部を占拠
- 満州国の建国
- 中国は国際社会に助けを求めたが、列強は世界恐慌の対応に追われ、相手にされない
- 第二次世界大戦
- 満州事変での日本と中国の状況を見て
- 武力に対し国際社会が無力だと評価される
- これを見て、イタリアやドイツが侵略を始める
- ドイツのポーランド侵攻を機に第二次世界大戦
- ドイツはヨーロッパを次々支配
- 日本は日中戦争
- 経済制裁で日本は天然資源が不足
- 天然資源を求め、日本は東南アジアも攻める
- 経済制裁を強めるアメリカ
- 日本は1941年真珠湾を攻撃し、アメリカも参戦
- アメリカ参戦によりヨーロッパの状況が変わる
- 1945年ドイツ降伏
- 原爆投下などを経て日本も降伏
- 第二次世界大戦後
- 自民自決思想のアメリカが介入することで
- 植民地が独立していく
- 19世紀までの日本と海外の関係
- 第12回
- アジアでの国民国家の誕生
- 第二次世界大戦後、植民地は独立
- しかし、その後も問題は起こる
- 大きく3つの対立が起こる
- イデオロギーの対立
- 宗教の対立
- 民族の対立
- イデオロギーの対立
- 中華民国
- 資本家の助けを借りた、蒋介石の中国国民党
- 社会主義を掲げた、毛沢東の中国共産党
- 両社は対立し内戦となった
- 負けた蒋介石は台湾へ
- 中国は台湾を中国の一部と主張し、独立は認めない
- 宗教の対立
- インド
- 多数派のヒンドゥー教徒と少数派のイスラム教徒がいた
- イギリスは両者を対立させて統治していた
- 大戦後、両者の対立は深まる
- ガンジーは1つのインドを目指した
- が、実現せず
- インドとパキスタンに分かれた
- 今も宗教同士の対立が続く
- 民族の対立
- マレーシア
- もともといたマレー人と、中国から来た華僑
- 華僑たちが分離してシンガポールとして独立
- アジアでの国民国家の誕生